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2 oni chassant les lucioles en été ©Sylvain Jolivalt - Ne pas reproduire ou exploiter sans autorisation

Sylvain Jolivalt

Auteur-Illustrateur

くろ助

多くの日本人は、1968年に作家・来栖良夫が執筆した児童文学『くろ助』を通じてこの人物を知っている。

実はこの驚くべき人物は実在しており、17世紀初頭に織田信長(1534-1582)の側近の一人である 太田牛一(または牛一、1527-1613)によって17世紀初頭に編纂されたもので、彼は1568年から1582年に信長が亡くなるまで忠実に仕えていた。

天正9年(1581年)の信長の活動を記した第14章では、安助との出会いが次のように描かれている:

 『そののちの二月廿三日のこと、切支丹国より黒人坊主が参上してきた。この黒人、年の頃は二十六・七と見え、その身の黒きこと牛のごとくであった。 また壮健な身体を持ち、剛力は十人に優れていた。この黒坊主は伴天連が信長公を参礼した際に召し連れてきたものであったが 、信長公の御威光により、こう して古今見及びもせぬ珍物や稀有なる者達を細々と見る機会に恵まれることは、まことに有難きことであった。』

“Le 23ème jour du deuxième mois, un serviteur noir (kuro-bôzu) d’un pays chrétien vint en visite. Cet homme, qui devait avoir entre vingt-six et vingt-sept ans, avait le corps tout noir, semblable à un boeuf. Il était vigoureux, et avait la force de dix hommes. Ce serviteur noir accompagnait un prêtre chrétien (bateren) venu présenter ses respects au seigneur Nobunaga.  Le seigneur Nobunaga le remercia de lui avoir donné cette occasion de voir d’aussi près un personne aussi rare et extraordinaire, telle qu’il n’en avait jamais vue auparavant.”

ここで言及されているキリスト教の司祭とは、実はアレッサンドロ・ヴァリニャーノ(1539-1606)のことである。彼はイタリア出身のイエズス会宣教師で、1579年にカトリック教の伝来を監督するために来日した。イエズス会の宣教師たちに日本語を学ばせたのも彼であり、1582年にローマへ派遣された最初の日本人キリスト教徒使節団を組織したのも彼である。

この従者は、説によってコンゴあるいはモザンビーク出身とされ、ヴァリニャーノと同時に日本へ渡ってきた。彼もまた、日本で日本語の基礎を少し学んでいた。このことが、二人が出会った際、信長に少なからぬ感銘を与えた。信長は、その肌の色が塗料によるものではないことを確かめようと、彼に入浴を命じた。そこでヴァリニャーノはこの従者を信長に献上した。信長は彼を直属の家臣の一人とし、「彌介(ヤスケ)」という名を授けた。彼の身長は1m80を超えていたと伝えられており、当時の日本人の平均身長と比べれば、まさに巨漢であったに違いない。

1582年、6月2日、信長の家臣の一人である明智光秀が、京都の本願寺にいた主君を裏切り、激しい戦いの末、信長を自害に追い込んだ。その頃、安助は近くの二条城に滞在していた。そこで彼は、信長の息子・信忠と共に、明智光秀の軍勢と戦った。敗れた信忠もまた、自害を余儀なくされた。一方、弥助については、明智光秀は彼を人間ではないと見なし、殺さないことに決めた。そして、彼をキリスト教の僧侶たちに引き渡すよう命じた。

クルス・ヨシオの著書では、彼は「カルサン・ヤスケ」あるいは「クロスケ」と呼ばれている。「くろ助」は「黒い助手」を意味し、「カルサン」はポルトガル語の「calção」に由来する。これは当時西洋人が着用していたズボンの種類を指す(フランス語の「caleçon」の語源ともなっている)。この物語において、弥助は常に西洋風の服装をしているためである。

弥助は、NHKが毎年放送する時代劇ドラマ「大河ドラマ」のいくつかにも登場している。『秀吉』では、弥助は信長と共に戦場で英雄的に戦死し、『ジパングの王・信長』では、鎧をまとった侍を素手で倒す姿が見られる。

ヤスケは、ファンタジー小説家の菊地秀行の著作にも登場している。実際、『魔剣士』シリーズの『黒鬼反魂篇』において、ヤスケは実際にはゾンビを生み出すことのできるブードゥー教の司祭であり、信長の没落を招いた人物として描かれている。

これらにインスピレーションを受けて描いたイラストがこれだ。

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